シンガポールの歴史でわかる経済学【リークアンユーと経済発展】

税金

「経済成長率」という言葉は、よくご存知だと思いますが、

近代アジアでもっとも成長した国をご存じでしょうか?

 

シンガポールのある偉人は独裁政治ながらに、高度な経済成長を果たし、シンガポールをアジアの経済大国に育てました

 

その経済成長の過程では、戦争や国内の問題や民族問題などの様々な葛藤がありました。

 

今回は【シンガポールの歴史でわかる経済学】ということで、リークアンユーがどのようにしてシンガポールをアジアの経済大国に育てたかを解説していきます。

 

この方法は、会社や団体などの組織でも応用のできるもので、また日本経済の問題点などにも精通しています。

 

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シンガポールとは

シンガポールはマレー半島の南にある小さな国で、面積は約720平方キロメートル(東京23区と同程度)と小さいながら、一人当たりのGDP82,503(単位:シンガポールドル)となっており、これはコロナ渦の数値であるも高水準も維持しています。

一人当たりのGDPは世界で8位(日本は23位)であり、経済大国と言っても過言ではありません。

簡単に説明するとシンガポール人は、日本人より約20%ほど多くの資産を保有しています。

しかし、シンガポールの歴史は浅く、かつてはイギリスに占領される、日本軍に攻められるなどの戦争の末に独立した国家です。

 

一人の偉人がこの短い間に、シンガポールを変えました。

 

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初代首相リークアンユー

のちにシンガポールの初代首相になるリークアンユーは、イギリス統治下に生まれ、イギリス文化の影響を強く受ける家系に育ちました。

初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。

 

生い立ち

リークアンユーはイギリス文化の影響を強く受ける家系に生まれた中華系のシンガポール人です。

当時にシンガポールは、イギリス統治下にあるマレー半島の小さな区域でした。そんな中で、イギリス人の恩恵を受けるやや裕福な家庭に生まれたリークアンユーは幼少期から様々な才能を持ち合わせていました。

大学生になると、シンガポールで一番の大学に進学し二番目の成績を残したため、イギリスへ留学を行います。

ちなみに一番の成績を残した女性が後の奥さんとなる方です。

ロンドンで世界を知ったリークアンユーは、「シンガポールは搾取されている」「植民地である以上は経済発展はありえない」と感じます。

そしてシンガポールに帰国すると、労働者の無料弁護を行うなど【シンガポール人の支持】を集めます。

自分の勉強した、得意分野の法律でイギリス人と対立していきました。

そんな中、欧米列強と闘うべく、アジア統一を目指した大東亜戦争が勃発します。

 

大東亜戦争時のシンガポール

当時のシンガポールでは「日本兵は弱い」「イギリス兵は強い」と教えられており、シンガポール人もイギリスが負けるわけないと思っていました。

しかし、シンガポールは日本にすぐに落とされます。

リークアンユーは、逃げ回るイギリス兵を目の当たりにし戦争を知ります。

当時のイギリス兵はオーストラリア人がメインであり士気は低く、日本兵の士気が異常に高かったことなどが勝因の一つとも言われています。

リークアンユーはこう言いました「日本統治下の三年間は地獄だった」と…

当時の日本は日中戦争から始まったこの戦争で中華系の人間に対しての差別感情が強く、中華系シンガポール人は虐殺、強姦などの被害にあったとも言われています。

その後、戦争は終結します。

リークアンユーはイギリス文化の影響を強く受ける家系で育ったため、英語が堪能でありました。
そのため、英語ラジオを聴いて戦争の動向や情報を得ていたと言われており、日本が負ける可能性が高いことを知っていたと言います。

戦争の終結後

戦争後には、イギリスとの対立やマレーシアとの対立などの問題もありました。

中でもマレーシアとの対立は、ほぼすべての国民が「シンガポールは終わった」と思ったほどです。

シンガポールは立地上、マレー半島の先端の小さな区域であり、資源に乏しい地域でした。

そのためマレーシアより独立すると資源がなくなる、高く買わされるなど不利なことが多くなります。

しかしながら、マレーシアはマレー人を優遇する政策を行い、シンガポールの大部分を占める中華系の人間は差別をされてきました。

融和な解決を求めたものの、マレーシアはシンガポールへの差別をやめずに、結果的には追い出される形でマレーシアより独立します。

マレーシアは様々な宗教が存在したため、宗教間のトラブルは多かったと言えます。

 

数々の政策

資源に乏しい小さな発展途上国の主人となったリークアンユーですが、国民が絶望する中様々な政策でシンガポールを経済大国に育てます。

多言語国家のシンガポール

言語や人種の問題は争いの種になることを知っていたリークアンユーは、公用語を複数にし、自らの息子を中華学校に通わせるなどで政治的バランスを取りました。

移民や海外企業の受け入れ

シンガポールは「誰をも優遇しない」姿勢をとり、努力により成功することができる社会を作りました。

移民を受け入れることで自国の雇用がなくなるリスクもある中、徹底した実力主義を貫きました。

法人税を下げることで海外企業が次々と参入してきました。多くの外資を集め、そして国内の競争力をも高めていきました。

「みんな平等にする」ということは競争率を奪うことを知っていました。

教育について

民衆の前で言いました、「学歴の高い男性が学歴の高い女性を選ばないことは損です」と。

この発言には賛否を生み、支持率は一時的に12%下げるものの、自分のパートナーは高学歴でもあり現実主義者の一面を見せました。

「子が優秀に育つには、8割は親の教育レベル」とも言いました。
もちろん最初は反発を受けることも多かったと、本人も語っています。

 

金融業による発展

この資源の少ない小さな後進国のシンガポールでは、水すらも確保できない環境下でもありました。

そんな中で、リークアンユーはシンガポールは金融業で成り立たなければならない、と考えました。

今ではアジア金融のハブと言われるほど、シンガポールの金融業界は世界的に大きい影響力を持っています。

シンガポールでは現在も、インターネットバンキング開発や、銀行間の電子送金費用の無償化(当日送金も無料)、キャッシュレスなど次々と新しい仕組みが開発されています。

まとめ

シンガポールでは、民主的な選挙が行われるものの勝つ政党がほぼ決まっています。それは法律で定められているルールによるものです。

また、初代首相が長く務めることができるなど、完全な独裁国家であるが、経済成長を遂げた数少ない国家です。

これを「開発独裁」と言い、世界的にも珍しい例です。

「高福祉国家は静かにむしばんでいくだろう」とリークアンユーは言いました。

どの世界でも、外部の人間の参入と内部の競争率は質の向上には必要不可欠であることがわかります。

あなたの会社にはそのような考え方はありますか?知らず知らずのうちにサービスや商品の質を下げているのではないでしょうか?

リークアンユーの考え方は、現代社会でも活かせるものであると言えますし、また明日から活かせる考え方でもあります。

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